(この写真は、ルトくんが実際に永平寺を訪れた際に撮影したものです)
永平寺というお寺をご存知でしょうか?
福井県吉田郡永平寺町にある、日本曹洞宗の大本山として知られる名高い古刹です。
私はそこに一度、坐禅をしに行ったことがあります。
今回はその時のことを、お話ししたいと思います。
私が永平寺の存在を知ったのは、大学1年の頃でした。
一夜参禅という企画が大学から通達され、それに参加することにしました。
8月の当日、バスで永平寺に向かいまして、門前町のお土産屋さんでバスを降りてそこからは歩きでした。
正直、私の住んでいる場所よりも田舎……というよりも山奥でした。
こんなところに人が住んでいるのが不思議に思えるほど、山奥に永平寺と門前町がありました。
案内された場所はとても広い畳み敷きの部屋で、あちこちに若い雲水さん(修行僧のこと)が居りました。
場所は吉祥閣という建物の2階でした。
そしてその部屋に参加者全員が集められると、まず説明を受けました。
永平寺にいる間、永平寺でのルールを守ることです。
大まかに分けますと、次のようなルールが言い渡されました。
・携帯電話の使用は厳禁。(入山したら、真っ先に電源を切って回収されました)
・飲酒喫煙は当然一切禁止。
・夜は9時に就寝し、翌朝は3時半に起きること。
・この後に1回、夜と朝にそれぞれ1回、出発前に1回の計4回坐禅を行うこと。
・座るときは正座すること。
・立っている時や歩くときは「叉手(しゃしゅ)」をすること。
・食事の際は一切音を立てないこと。
・決められたとき以外、一切会話してはならないこと。
これ以外にも、いくつも決まり事がありました。
特に「一切会話してはならない」と「食事で音を立てない」を守ることは非常に難しいことでした。
「なんだ、簡単じゃん。そんなこともできないの?」
とお考えになられた方、はっきり申し上げます。
考えが甘い!!
会話はともかく、食事は食器を置くときのわずかな音でさえもNGなのです。
当然、過失であっても食器が当たって音を立ててしまうのもダメです。
そうした音を一切出さずに食事ができるのか、一度よく考えてみてください。
きっと、無理なはずです。
物静かな私でさえ、食器を置くときの音を少しでも出さないのは無理でしたから(笑
説明が終わった後に、全員で正座したまま「摩訶般若波羅蜜多心経」を詠みました。
詠み終えて立ち上がるときには、ほぼ全員が足が痺れて動けなくなっていました。
私も立ち上がれなかったうちの一人です(笑
そして誰かの「しびれが痛い」との声に「喋ってはなりません!」と注意を全員が受けます。
まるで軍隊です。
なぜこんなにも厳格なのか。
この時の私は、理解と足の痺れに苦しむことしかできませんでした。
そしてすぐ後に、坐禅が始まりました。
座蒲(ざふ)という坐禅専用の丸い座布団を尻の下に敷き、壁に向かって坐禅を組んで40分の間、ただひたすらに坐禅をします。
坐禅の時は目を半開きにするのですが、半開きのまま維持するのは難しいです。
閉じている方が楽なのですが、それだと睡魔が襲ってきます。
なので放禅が来た時は「やっと終わった」と思いますが、気は抜けません。
もちろん隣の人と喋ったりすれば、容赦なく注意されます。
最初の坐禅が終わりますと、入浴の時間になります。
しかし、入浴でも厳格な作法があります。
さらに浴室は三黙道場の一つなので、談話談笑は一切禁止です。
そのためか、女子の一部を除いてほとんどの参禅者が入浴をしませんでした。
私も「面倒くさいし、一晩くらい、まぁいいか」と思って入浴は遠慮しました。
なのでその間、ただひたすらに坐禅をした場所で立ったまま時が過ぎるのを黙って待っていました。
立っているので、手は叉手になります。
叉手は、左手の親指を中心にして拳を作り、これをみぞおちの辺りに軽く当てて右手の拳でおおうというものです。
結構簡単にできます。
夕方になりますと、17時30分から薬石(やくせき)の時間になります。
薬石とは、夕食のことです。
薬石の由来は、かつて禅寺では食事が2回だけで夕食は無かったため、温めた石を懐に抱いて飢えをしのいだからとされています。
本当かどうかは分かりません。
食事をする部屋に行きますと、決められた位置に正座で座ります。
そしてそこにはお膳に載せられたとても美味しそうな精進料理が!
この時は私もテンションが上がりました。
精進料理だー!
何を隠そう、精進料理は大好きなのです。
もちろん、厳しい戒律の元でいただきますので、悠長に味わうことはできません。
禅寺では、食事も重要な修行のひとつです。
このとき、共に食事をした和尚さんが
「食べ物は、みな命です」
と仰っていました。
それでハッとさせられました。
精進料理で使われているのは、植物や植物性の食品ばかりなのですが、植物にもちゃんと命があるというのです。
この言葉に、私は疑問が1つ解決しました。
「精進料理は殺生をしないで作った料理というけれど、植物は殺生に含まれないのか?」
長年抱いてきたこの疑問に対する答えを、この場で教えられました。
食べ物はどれも命を頂いているものなのだから、ありがたくいただきましょう。
この気持ちが大切だと感じました。
話を戻します。
全員が所定の位置に座りますと、箸が入っている袋を手にします。
袋には五観の偈(ごかんのげ)が書かれていまして、それを全員で唱えます。
難しい言葉になっていますが、内容は「食事を感謝していただきます」というものです。
本来、薬石は正式な食事ではないため、五観の偈が唱えられることはありませんが、私の時は禅の教えを体感する目的のためか、唱えました。
五観の偈は、次の5つです。
一つには、功の多少を計り彼(か)の来処を量る。
二つには、己が徳業の全欠(ぜんけつ)を(と)忖(はか)って供に応ず。
三つには、心(しん)を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗とす。
四つには、正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
五つには、成道の為の故に今此の食(じき)を受(う)く。
それぞれの意味は最初から次の通りとなります。
1 今、口に入れようとしている食事はいただくまでに、いかに多くの人々の手数や苦労があったかを深く考え、感謝していただきます。
2 私たちはこの食事をいただくに値するほどの正しいふるまいや、世のため人のために役立つような行いをしているかどうか、深く反省していただきます。
3 私達の美しい心をくもらす、むさぼり、いかり、おろかさの心を離れ、修行の心をもっていただきます。
4 食事は単に空腹を満たすためではなく、私たちの身と心を健やかに保つための良薬であるから、正しい目的をもっていただきます。
5 今、いただく食事は仏の道を成ずるため、ともに理想をもっていただきます。
そして袋の中から「大本山 永平寺」と書かれた一膳の箸を取り出し、食事を始めます。
なお、食事は音を立てないだけでなく、人より早く食べても遅く食べてもいけないことになっています。
食事も重要な修行である禅寺ならではの決まりごとです。
薬石を終えますと、ご飯が入っていた茶碗にお茶が注がれます。
そのお茶で箸の先端を洗い、お茶は飲み干します。
そうしましたら、今度は食後の偈を唱えます。
こちらも箸袋の裏に書かれていまして、全員で唱えました。
五観の偈と同じく、こちらも本来は薬石では唱えられることはありません。
食後の偈は、次の通りです。
願(ねが)はくは此(こ)の功徳(くどく)を以(もっ)て、
普(あまね)く一切に及ぼし、
我等(われら)と衆生(しゅじょう)と、
皆共(みなとも)に仏道を成(じょう)ぜんことを。
その後、箸をお膳の上に置いて坐禅をした部屋へと戻ります。
他の人の箸と取り違えたりしないかと心配になりましたが、
また後日、同じ場所に座ると告げられました。
どうやら座る場所は最初から決められていたようでした。
薬石が終わりますと、夜の坐禅です。
再び座蒲に座り、40分間坐禅を組みます。
食後なのですごく眠くなります。
隣や遠くで、警策(きょうさく。和尚さんが修行僧の肩を叩くあの長いもの)の音が聞こえてきます。
私はそれで、慌てて崩れかけていた姿勢を直しました。
ちなみに私は、この坐禅から結跏趺坐(けっかふざ)から半跏趺坐(はんかふざ)に替えました。
結跏趺坐で40分やることはできますが、何度もやっていると足がおかしくなりそうだったので、坐禅が終わった後に歩けないと困ることから、結跏趺坐よりも負担が少ない半跏趺坐にしました。
どちらかが本式、略式というのはなく、どちらも正しい組み方です。
夜の坐禅の後は、永平寺の偉いお坊さんが来て法話を聞きました。
内容はほとんど覚えていません。(苦笑
法話の後は、映画でした。
どんな映画かとワクワクしていましたら、永平寺の1年を紹介する映画でした。(笑
年中行事などを中心にした出来事を、よく30分に収めたなと感心してしまいました。
法話と映画の間は、ずっと正座をしていましたので足が痺れて立てなくなりました。
感覚が戻るまで、5分は掛かったと思っています。
その後、全員で布団を広げます。
ここでも雲水さんに習い、一畳の中に布団を敷くので、隣の布団と密着状態になってしまいます。
そして隣の人との距離が30センチあるかないかという中で、夜21時の就寝時間を迎えます。
普段、こんなに早く寝ることはありませんので、なかなか寝付けませんでした。
ちなみに、就寝時間のことを「開枕(かいちん)」といいます。
こうして、一夜参禅の1日目が終了しました。
はたして2日目はどんな出来事が待ち構えているのでしょうか?
乞うご期待!
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