相変わらずだなぁ、と思います。
いきなり何だよ?ですよね。
ルトくんが相変わらずだと思うのは、
「就職したら長く会社に勤めて仕事をする」
という考えがまだまだ根強いことです。
この考えが浸透していった時期は不明です。
「高度経済成長の頃から」
「バブル景気の頃から」
とも聞いていますが、少なくともそれより前であることは確かです。
なぜなら、その頃にはすでに「就職したら長く会社に勤めて仕事する」ことが一般的だったからです。
少なくとも、戦後になってからの昭和だろうと思います。
そして、なぜこうした考えが広まったのか?
気になって考えてみたことがあります。
丁稚奉公や武士の思想のせいかも?
恐らくですが、
「丁稚奉公」や「武士の御恩と奉公」といった考えが
かつての日本では長いこと一般的だったからではないでしょうか?
他に「勤勉は美徳」「苦しいことに耐えることは偉い」といった精神論もあると思います。
この延長線上にあるのが「就職したら長く会社に勤めて仕事をする」ことかもしれません。
少なくともバブルの崩壊頃までは、この認識は一応通用しました。
終身雇用制度がまだあったからです。
「年金が出る年齢になるまで会社で雇って仕事と給料は出して生活の保障はするから、長く勤めて会社のために働いてくれ」
これでほとんどの人は、なんとかやってこれました。
生活の保障がありましたし、裕福とはいかなくても、そこそこの生活ができたためです。
またかつての「丁稚奉公」や「武士の御恩と奉公」も、
最低限の生活である衣食住が保障されていることが当たり前でした。
他人の人生を請け負うようなものですから、
「衣食住の保障ができないなら人を支配下に置くな」
というような認識があったのかもしれません。
現代には合わない思想
しかし、現在はこうした考え方は合いません。
なぜなら「会社=主人、社員=家来」という図式は成り立たないからです。
(ちなみにルトくんは「御恩と奉公」「恩は返すのが当たり前」といった思想自体が嫌いです。正直、恩着せがましいです)
就職するときに「会社のために一生を捧げます」などと宣誓しましたか?
していませんよね。
やったことといえば、労働契約を結んだことではないでしょうか?
つまり、現代において労働は「契約に基づく行動」に当たります。
労働者は労働を提供する代わりに、給料をもらう。
使用者は給料を提供する代わりに、労働させる権限を持つ。
たったこれだけのことです。
しかも、契約は解除することができます。
いつでも「契約は終了」することが許されているのです。
(もちろん、無制限ではありませんが)
それなのにどうして「就職したら長く会社に勤めて仕事する」ことが
依然として半ば当然視されているのでしょうか?
衣食住を会社が保障してくれるのなら違うとは思いますが、
保障してくれませんよね?
変われない人に明日は無い
なかなかすぐに変わることは難しいものです。
急進的な改革をしようとすると、必ずどこかで歪みが生まれておかしくなります。
(その結果が「粛清」や「文化大革命」「総括」「ポア」などです)
そのため「変えるべきところは変えて、大切なところは残す」という「緩やかな変化」が求められています。
時間が多少掛かったとしても、おかしい方向に変化してしまったり、
逆に何も変わらなかったりするようなことを防ぎ、
前に進んで行くためには「緩やかな変化」が大切なのです。
かつての日本で主流だった「丁稚奉公」や「武士の御恩と奉公」も、
明治維新の頃には教育制度が整備されたりして行われなくなりました。
もう100年以上もやっていないのに、
なぜその精神だけが受け継がれているのでしょうか?
精神論で飯が食べられるわけでもないのに!!
いくら緩やかな変化が大切だとしても、明らかに時間が掛かり過ぎています。
おかしいと思わないのでしょうか?
永遠に不変なものなど、存在しません。
「合わない」と思ったら、自分から変わるのが大切
しかしいくら「おかしい!」と声を出しても、
周囲からは白い目で見られるケースが圧倒的に多いです。
それならいっそ、自分から変わってしまうのもいいと思います。
周りからは止められるかもしれませんが、
止める権限を持っているのは、外野ではありません。
他でもない「自分自身」です。
悪いのは変わろうとした「あなた」ではありません!
変わろうとしなかった「周り」が悪いのです!!
恐れることなどありません、大切なのは自分自身!
自分が一番大切です!
生活を保障できるのは、ほかでもない自分なのですから!
一度、立ち止まって自分自身を見つめなおしてみることをオススメします!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!