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1人で生きて行かなきゃいけない、という無茶ぶり

みなさんは誰かから「1人で生きて行かなきゃいけない」ということを言われたことはありますか?
私は、父親からさんざん言われてきました。

当時はなかなか言い返せなかったのですが、今でしたらこう言えます。
「1人で生きて行かなきゃいけないなんて、そんな無茶な事を要求するな!」

当たり前のことですよね。
1人で生きている人間なんて、この広い世界のどこにもいませんから。

「1人で生きて行かなきゃいけない」と考えている人は、
自分がどうやって生まれてきたのかさえ、理解していないのではないかと思います。

きっと、人間はどこからか自然に発生してくるものだと考えているのではないのでしょうか。
そんなことができるのは、フィクションの中だけです。

人間だれしも、父親と母親がいないと生まれてきません。
さらに、生まれてくるときに助産師などの人の手を借りることがほとんどです。
この時点ですでに、誰かのお世話になっています。

さらに日本では出生届の提出も必要です。
本当に人間が1人で生きていけるのならば、産まれたばかりの赤ん坊でも、市町村役場で記入押印して提出できるはずです。
そんなことあり得ません。

親や親戚が代理で記入して、役所に提出することがほとんどです。

さらに着る服、食べ物、住む場所、生活必需品、ライフライン、愛情……。
挙げていくとキリがないのですが、これらも自分一人で用意できるものではありません。
誰か提供してくれる人がいて、初めて用意できるものになります。
病気になったら、医者に診てもらうこともできません。
自力で治すしかなくなります。

これを全て自分一人でできる人なんて、いません!

成長して幼稚園や学校に行くようになり、そして就職などして生活するようになるまでの間に、誰かと関わらないことは絶対にありえません!
人生の節目では親戚一同が集まることもあります。
学校に行けば友達や先輩もできます。
就職すれば同僚、先輩、上司などが現れます。

ここまで言えば、もうどんな人でも分かると思います。
「1人で生きている人なんて、絶対にいない」と。

コンビニで何かを1つ買うだけでも、多くの人と関わっています。
レジの人、
商品を並べた人、
商品を運んできた人、
工場で商品を作った人、
原材料を運んできた人、
商品の原材料を作った人、
コンビニを運営している人、
コンビニをその地に作った人、
いったいどれだけの人が見えないところに存在して関わっているのか、検討もつきません。

仏教の教えの中にも「縁起」というものがあります。
全てのものは原因や条件があって相互に関係しあって成立している、ということです。
人も例外ではありません。
産まれてくるのにも原因がありますし、生きていく間にもいくつもあります。
人との出会いを「ご縁」「何かの縁」と表現するのも、ここから来ています。

誰しも、見えるところでも見えないところでも、必ず誰かのお世話になっているのです。

「誰かの世話になってはいけないから、一人で生きて行かなきゃいけない」
と考えている人は、自分が謙虚に見えて実はすごく傲慢なことを考えていることを、自覚してみてはいかがでしょう?

「俺は誰かの世話になりたくない! 1人で何でもできるんだからな! 必要ないぜ!」
こう言っているのと、全く同じです。

誰かのお世話になることは、悪いことではありません。
むしろ生きていく上で、多かれ少なかれ避けては通れない道です。

1人で生きていくことなんて不可能なんですから、
人との関わり合いの中で無理なく生きていくことができればいいと思いますよ。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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