インターネットの動画提供サービスといえば、youtubeやニコニコ動画などが代表的です。
しかし、私が小学校高学年~中学1年2年辺りの時は、youtubeはサービスを開始したばかりで知名度も高くなく、ニコニコ動画もまだ誕生していませんでした。
そんな時に、私の世代がネットサーフィンをして見ていた動画がありました。
それが、フラッシュ動画と呼ばれるものです。
今回はそんな、フラッシュ動画にまつわる私の思い出を書いていきたいと思います。
私がフラッシュ動画の存在を知ったのは、小学5年生の時でした。
「フラッシュ倉庫」という単語を耳にし、友達の家でインターネットを使い、それを見たことがフラッシュ動画との出会いでした。
当時流行していたのは「楽しい国語」「日本ブレイク工業社歌」「うる星8つら」「ゴルゴの吉野家」などでした。
この後、一躍有名になった「マイアヒ」「Dooraemon!」「Nightmare city」「catman」「VIP先生」などが発表されていき、どんどん広がりを見せて行きました。
パソコンやインターネットに触れたばかりの私には、
パソコンでこんなにもすごい作品を作れる人がいること、
それを発表できる環境があること、
無料で見れること、
などに大きな衝撃と影響を受けました。
間違いなく、私をインターネットの海に引きずり込み、簡単に抜けられなくした一因はフラッシュ動画にあると思っています。
友達の家や学校のパソコン室などで、フラッシュ動画を見ることに私はハマりました。
当時見ていたアニメやマンガとは違った面白さが、フラッシュ動画にはあったように思います。
そして「電車男」が話題になった辺りまでが、フラッシュ動画のピークでした。
中学2年辺りから、変化がありました。
これ以降、フラッシュ動画は下火になっていきます。
JASRACが音楽の無断使用に対してキレたこと、以前よりも面白いと思えるようなフラッシュ動画が少なくなってきたことなどから、見る機会は徐々に少なくなっていきました。
ちょうどポケモンのファンサイトでの交流にハマったり、ブログの運営を始めたり、中学1年から始めた小説を書くことが楽しくなり始めたことも関係していると思います。
しかし、一番大きかったのは動画投稿サイト「youtube」の誕生だったのではないかと今では思います。
誰でも投稿できますし、海外のクォリティが非常に高い動画を自由に見ることができるようになり、私も周りの友達もみんな、youtubeへと流れて行きました。
しばらくしてニコニコ動画も誕生し、流行がニコニコで生まれたネタへとシフトチェンジしていく中で、フラッシュ動画は忘れ去られていきました。
久々にフラッシュ動画と再会したのは、フリーターになってからです。
「そういえば昔、フラッシュ倉庫なんてものがあったなぁ。今でもあるのかな?」と、
ふとした拍子にフラッシュ動画のことを思い出した私は、ニコニコ動画で検索をかけてみました。
そしたらなんと、出るわ出るわ、かつて夢中になったフラッシュ動画たちが、ニコニコ動画で生き残っていることが分かりました。
驚きと同時に懐かしさに包まれた私は、時がたつのも忘れてニコニコ動画でのフラッシュ動画閲覧に没頭してしまいました。
今でこそ動画共有サイトが発達して、それ以外で動画を見ることが半ば考えられないこととなり、フラッシュで動画を作るなんて驚かれる方もいらっしゃると思います。
しかし、当時としてはそれが画期的に見えました。
フラッシュ動画は確かに一時代を築きあげ、現在の動画共有サイトへとつながる礎になったことは紛れもない事実だと思います。
見たことが無い方は時間があるときに、一度ご覧いただくことをオススメします。
現在の動画共有サイトの源流ともいえるものが、そこにはあります。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。